洋楽のレビューの翻訳で勉強

英語嫌いだけど、好きな洋楽で英語を勉強します

The Stone Roses/ The Stone Roses NME 1989年4月29日号 レビュー翻訳

Rock Follies(ロックの愚行)

 

嵐の後の穏やかなRain Paradeだ。繰り返されて起きる悪夢の後のDream Syndicateだ。サイケデリックな野郎で着飾ったBig Macだ。マンチェスター出身なのに、Levenshulmeをサンフランシスコ郊外だと思っている人々によって作られたんだ。小屋から飛び出した後のThe Byrdsだ。これがアシッドで君にとって良いという生きたあかしなんだ。これは良い、ただただ良い。

こんなこととは違うと感じる人も多い。先週のパーティでのLSDの普及率の報告にがっつく人は、このアルバムを真面目なツラを下げて「今までで出たレコードで最高だ」なんて俺に話す。そのとき、それから彼はバックスバニーと会話していると思っていた。俺にはしっぽなんか生えていないのに。

ストーン・ローゼズ(以下ローゼズ)が単にレトロなギターを奏でている奴らだとは認めなくてはならない。多分、それは噂だろう。一曲目が始まるや否や消化された魚の頭のようなノイズが先に流れ始める。ギターは天に届く一方で、イアン・ブラウンは、焦点からずれた充血したベルゼバブのような目をしながら呻いている。『俺は魂を売らなくていいんだ/彼(神)は俺の中にいる/崇拝されたい』ローゼズはけして穏やかなバンドではない。

不運なことだが、すべてがさざ波のたつような弱弱しいリフではない。Waterfallを例に挙げると、ローゼズは真面目に60年代に使い残された紫のジェリーの入った浴槽のように成り果てるかのように、多幸感を与えようとする。最後のほうのノイズのしめくくりには、単にローゼズが時折、時間歪曲や精神歪曲に行き詰っている感情を高めている。

ローゼズにとって、新しいテクノロジーによって得られた精神的な崩壊の可能性に悩めることになるのか、可能性を探る余裕があるのかという事実はあるにもかかわらず、ローゼズについては未だ魅了する何かがある。それは、彼らの反逆というものだ。'imbecile'(愚か)と'feel'(感性)という韻ふみをできる誰かが、スカロボー・フェアのカバーをして、歌詞を変えられる。『俺を引き裂き、骨を煮る。彼女が女王の座を失うまでに、彼女の心臓を狙う。目標は定かだ。メッセージは以上だ。これで終わりだ。親愛なるエリザベス様へ』これはなかなか悪くない。

(7点)

 

 

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当時のレビューを訳してみました。序盤ぶっちゃけ何が言いたいのかわからず苦労しました。I Wanna Be Adoredの出だしを魚で表現するあたりもちょっとよく分かりませんでした。こういう言い回しがあるのかな?あと、Elizabeth My Dearの歌詞はレビューの中で間違ってます。(正:rest  誤:breast) ひょっとしたら、わざとかも知れないのでそのままbreastで訳しました。

それにしても当時は評価低めですね、7点って…。当時から期待されまくってただけなのかな。今は名盤なのに。でも、このレビューもどことなく前回のLovelessと同様、先行きの怪しさを感じられて嫌いになれないレビューだったりもします。当時からそんな雰囲気を醸し出していたのかもしれません。

The Stone Rosesは、個人的に前回のLovelessと同様、思い入れの強いアルバムです。最初に聞こえてくるノイズすら愛おしいです。ノイズと行っても音的には、ラヴレスとは違って、時代を感じるのですがそこがかえって良いです。聴くたびに印象が変わる、不思議なアルバムだと思っています。

サマソニでの再結成は感動物でした。あの4人が揃ったところを見られて感激しました。それにしてもフロントマン二人の喧嘩は某眉毛兄弟を含めてつきものなんだなあと。

大好きなバンドのアルバムが両方ともとりあえず終わってしまったので次はなにを訳そうかなあ・・・。

 

 

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